いつか、死の淵ギリギリを何度も漂ってきたわたしが
「絶望の向こう側にあったものが祝福だった」、と発見したときは、ほんとうナントカ大陸を発見したコロンブスばりの世紀の大発見だった気がします。
そのときは、セックスとか性にまつわる絶望を浄化してた時だったんだけど。
まさか、絶望ブレンドと題して製作した第一号の香りAll is good から、一周して
High Five! という祝福ブレンドで完結したシリーズが、最初と最後がぐるりと背中合わせに続いてたという事実がわかったときの感動たるや。
ところで、絶望の反対側にあるもの、と絶望の向こう側にあるものってちょっと違う。
でも、ものごとはすべて、対極にあるものは実は、端と端ではなくて、クルッと向きを変えたらまさに、皮一枚で繋がっていたみたいなことがよくあるのだよね。
心理学者のチャックスペザーノ氏の本には、無力感や虚無、絶望の海に放り込まれた時は、実は悟りの一歩手前である、という節があって
つまりその絶望の手前で引き返すと、「諦め」とか「切り離し」といった、分離状態に陥ってしまって、ひとはどんどん本質から離れて嘘の自分を生きるようになっていきます。
これを繰り返すともう取り返しがつかないくらいにもつれてしまう。
ところがどっこいだね、絶望の手前で引き返すかわりに、くぐりぬけると、そこには
新たな世界が広がっているんだね。
みたことがなかったような景色だとか、感じたことがないような愛の感覚だとか、知らなかった美しさとか。
これを繰り返すと、取り返しがつかないくらいにどんどんと澄んで、綺麗になっていきます。
その気づきのことをわたしたちは「成長」と呼ぶのだけど、これは何歳だろうとわたしたちが「次に行く」と決めた時に絶えず起こり続けます。
まっくらな闇に放り込まれたときって、道標すら見つけられなくて、本当に生きる気力も失ってしまうものだけれど、もしもまだ、絶望に慣れていない、そういう時の「くぐり抜ける」とかわからない、苦しいでいっぱいの方がいたら、
ぜひ
その状態は、次に上がってく本当に本当の直前なのだと、こころの片隅に置いておいてください。
わたしも当時は毎回、ギリギリもうダメだ、無理だと思う最後、ワラをも掴むきもちで、「もしかしたら、ここは、あの世界をまたぐ、手前なのかもしれない😭死」
と信じられないいっぱいの気持ちで、かすかな光を見失わないようにしてきたと思う。
まさかの逆走。😂
でもね、必要ない絶望もいっぱいあるの。
必要ない、と書いたのは、苦しむ時間が最短で済むよってこと。
(絶望させたら右に出るものはないと自負している)絶望の第一人者としては、そこに「希望」という薬がどれほどに特効薬かを
同時に研究し尽くしたみたいな感じで
(コロナで死にかけたらからワクチン発明したよみたいな)
こんなに、絶望し尽くしてきたのに、え、何、今まで五日間寝込んでたの、10分で解決できたわけ?
て感じの毎日を最近過ごしていて、それこそ絶望だわ。本当。
これまでの38年間返せ。
その「希望」って、まだ見ぬ世界を想像できないときは、自分で見出すことって難しい。
そして、その「希望」って、自分の能力の範疇外にあると、文字通り不可能になる。
だからね、セラピストの力を借りるとすぐ終わります。
そしてわたしは今、ようやく看護師さんやらヘルパーさんやらの力を借りて、
「朝、洗濯物を干すのを忘れても死なない」ことを(毎回忘れるから)毎回教えてもらう。
(希望。)
限られた、のこりの短い人生を
どれくらい、つまらなく、哀しく、我慢と絶望で過ごすか
絶望を次々にくぐりぬけて、喜びと、光に満ちた時間を過ごすか
それってこんなに、選べるんだなと最近はよく思います。
やっぱり、人生に必要なのは、エロと希望だった。
日々そう思うわけです。
絶望、キタな。
と思ったら、自分でなんとかすると時間がかかります。こじらせて、余計な傷をうんで、2重にも3重にもプロセスを増やして、癒しゲームを延々と続けている人をたくさん見てきました。
なのでぜひ、
絶望、キタな。マイさんよろしく。
て感じで投げてくださいね。
さて6月1日になりました。
先日お知らせした、メニューなどの時間が一新しています。
価格がシンプルになったこと、時間が60分に変更になったなど
The gift ギフトのメニューページも更新しました。
ご確認のほうよろしくお願いします。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします✨😊