晴れた空

ズルい言い方をして、誰かを自分の思い通りに動かすことは、なんていうかすごく、簡単で。

それが無意識でも、意識的でも、私たちは相手の弱さやエゴや、優越感をくすぐるようにして、ズルく立ち振る舞って自分を守ろうしたり、愛されようとしたりする。

それを雲がすっかり澄んだ空みたく、何もかもを一掃し、相手の弱さも相手のエゴも、微細な心の動きも、何もかもを見透かした上で、駆け引きゼロで、そこに無色透明に居ること。
それを利用することなく、ただ愛すること。

必要な言葉をその上で、ポツリ砂金を拾うように吐き出すことは、最初はきっととても勇気がいるけれど。

ズルい自分も、薄汚い心も、ずっと洗える日が来るまで祈るように洗い続けたいつかの記憶。

綺麗なこころを目指すことは、醜い自分を否定することじゃない。

汚くて歪んで、醜い自分を、真正面から見据えることだけが、きっとほんとうにまっさらになるための通過儀礼だから。

 

何をも纏わずに在ることが他のどんな在り方よりも安全だということを、今のわたしは知っていて、昔はそういえば本当に賢く賢く生きようとしていたな、と思った今日。

ズルく、狡猾に愛されることや何かを引き止めることを生涯やってきて、それはもうどこにも必要ない。

誰とどこに座っていても、それはそれは晴れた空みたいな自分を感じられることも、胸を張って自分の心が澄んでいると思えることも、素敵なことだな。

 

Jan, 16 2020
Mai

 

 

 

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