ガチガチにコントロールをしようと頑張るとき、がんばればがんばるほど、必死でコントロールをすればするほど、ものごとはうまくいかなくなる。
なんというか、ものごとが調和してよい感じに進む時というのは、実は自分たちが手綱を握って思い通りに動かしているというよりかは、大きな流れや力に自分が乗っていて、多少、右に寄りすぎないようにとか、左に寄りすぎないように調整するに過ぎないと思う。
ちょうど、川の流れにのって下るときに、まるで車を運転するかのように、時速をコントロールしようとしたり、急に右に曲がろうとしたり、いい速さなのに、とつぜんブレーキをかけて川岸に停まろうとしたりする、あの感じ。
それだと、ほとほと疲れ果てて、必死で漕ぐのに、腕も足もクタクタになるのに、川下りもへったくれもなくなってしまう。
なにかをうまくいかせたい気持ちはよくわかる。コントロールを手放した瞬間に、濁流に飲まれてあっというまに溺れるんじゃないかという恐怖もわかる。
なにもかも、他人に操られるようにして、自分の望みはもみくちゃに消されてしまうんじゃないかとか。
でもそんなときこそ思い出してほしい。
実はコントロールが強く働くとき、無駄な力を自分で知らず知らずのうちにかけてしまうときには、実は(スムーズに流れに乗る)ことが怖かったりするのだということを。
とても多いパターンは、(さっき自分ごとでも起こって手放したところなんだけど)誰か他のひとに任せたほうがいい事や、より大きな力に委ねたほうがいい事を、恐怖のあまり「自分がやらなきゃ」と握りしめているパターン。
これはとってもこれまでクライアントさんがガチガチに固まって苦しんできたのをたくさんのケースを見てきて思うけれど、
自分がやろうとすればするほど、実は、本来誰かがその力を発揮できる場所を奪ってしまっているということ。
最初は、コントロールを手放すのはとても怖いと思う。
ボートは、スピードを少しは緩めたりはできても、自動車のブレーキみたいにぎゅうっと止まるわけじゃない。
ズンズン、ズンズン川の流れに身を任せて下ることが、いいことなのか悪いことなのかすら、怖くて混乱することもあるかもしれない。
でもね、やってみるとわかる。
きっと、ただ景色はスパークリングに移ろって、光が水に反射して、水しぶきが目の前を横切って、風を切って緑は揺れて
それはそれは、綺麗で、あれ、なんだ、最高じゃんと思う。
誰かにバトンタッチして、手をつなごう。
幸せへ急降下だ。
大きな力に委ねて、ただ身を任せていられるときの
楽で、心地よくて、疾走感溢れる光のなかをくぐる時。
「生きてる」って感じがするよ。
コントロールを手放した瞬間に、流れ出す本来の心地よいスピード。
爽やかで、生きてる喜びをめいっぱい味わいたい時に使う香りはこちら。
ハイファイブをどうぞ。