なにかがほしかったら、自分のほうから与えること、とはよく言ったもんだけど、
それってほんとうにそうだよな、と思った今日。
誰かからめいっぱい愛してほしいなら、愛する気持ちを知らなきゃいけない。
だから愛することをしないと。
世界から、丁重に扱われたいなら、自分が世界のほうを、丁重に扱うことをする。
誰かに尽くしてほしいなら、自分がそれを同じようにできたら、自然と尽くしてもらえる。
結局、相手がどんな想いでそれを自分に与えてくれるのかを
ただ知り、わかることは、素直な感謝につながって、ありがとうの気持ちで受け取ることができるようになるから。
今、とことん、山下さん(という、保護者てきにそばにいてくれてる大切なひと。)が自分のことを大事にしてくれるようになって、本当びっくりするほどに日々それを感じていて、
いつから、どこから、こんなに私は大事にされるようになったろう?
と考えてた。
何年も前に出会った当初から、caring (気遣いができる)で細やかな気の利く人だとは知っていたが、それは常に自分に向けられるものではなかった。
いつも終わりが来たし、彼の鋭く冷たい、頑なな殻をまとったような、人間じゃないくらいに酷な部分もたくさん見てきた。
それが、温かくて優しくて、本来の思いやりが端々にでるみたいな人柄が、自分に向けられるのをそばで始終見るようになって、それで思ったんだよね。
ああ、わたしも、彼のことをこの先の人生、できるかぎり大事にしたいとずっとそう思ってきたと。
それはきっと、いつか届く。
ずっと想い続け、愛し続けて、会えなくとも、裏切られても、
いいんだよね、大事だから。
大事にされたいから、大事にするんじゃない。
何が起こっても、大事にするから、そう決めているから、
だから最後には必ずそれは何倍にもなって跳ね返ってくるのだと。
だから今、何かがほしくて、それが足りてなくて、満たされなくて、ほしくて、さらに足りないと感じてるひとも
まずはその欲しいものに向けて、自分がどう、大切にできるかを考えてみよう。
見返りのない愛するは、慣れないと怖いけど
ただ愛する、を練習していくと、すべてがそこにあって、満たされていって、そして自分がどこまでも豊かだってことがわかってゆくと思う。
ひりひりした痛みも、ずきずきした記憶も
全部抱いて、そして欲しくて欲しくてたまらないのに手に入らないものへ、愛を注いでみよう。
最後には、なにもなくてもいいくらいに大好き。
そんな風に思えたら、もうそのときには自分はたくさんのものを受け取ってるはず。
結局は、(感謝)できてれば、最後は人が集まって、助けてもらえるよねェ。
とさらりとそう言ったのはその人望厚い、山下さん。
それを聞いて、「自分は果たして(感謝)できていたんだろうか?」
長く、孤独な時間だったけど、今何かがゆるやかに変わったんだろうか。
と静かに自分の内側に問いた私だった。
ありがとうの香りは、チャントメリリー。
めいっぱい感謝して、めいっぱい受け取ろう。