誰かのために、なにかをしてあげたいという気持ちって
ほんとうに愛で、
世界はそういうきもちに支えられて、回ってる。
でも、誰かのために、なにかをしてあげたいという気持ちは、2つに別れてゆくんだ。
ひとつは、誰かのために、自分を犠牲にしてなにかをするということ。
もうひとつは、誰かのために、自分のできる範囲でなにかをして、あとは祈ること。
このふたつが、自分も誰かも本当に幸せになれるための別れ道なんだけど、
出どころが同じ愛だというところが、またニクいよね。
わたしたちはもともと、目の前にいる愛するひとを、幸せにしたい!
その一心で生まれてくる。
それをね、大人になっても死ぬまで持ち続けることは、とっても素敵なことだと思う。
でも、目の前にいる愛するひとを幸せにしたいがあまり、
自分がどんどん消えていく感覚を、誰もが一度くらいは味わったことがあるとおもう。
こんなはずじゃなかったのに。わたしはやりたくなかったのに。あの人がそれを望んだから。
それは、いつしか憎しみに変わったり、怒りに変わったり、自分を諦めて生きる感覚に変わっていく。
これを癒やし用語では、「犠牲」と呼んで、みんなもその言葉はよく知っているにも関わらず気付いたら知らないうちに、自分を犠牲にしたりする時間に足を踏み入れてしまう。
それが起こってしまうと、最後は結局ハッピーエンドにはならない。
「あ!わたし自分を犠牲にしてる」と気づいた瞬間に、パーンと関係が壊れてしまったり、相手を責めてしまったり、または自分のやりたいことがわからなくなっていることに気づいたはいいけれど、空っぽの場所で呆然としたり。
日本は、犠牲を美徳としてきた国だった。
それは集合無意識に根深く刻まれていて、きっと多くの日本人はまだ、自分でも気づいていないレベルで「犠牲にしている状態」を「愛」だと感じて過ごしてる。
これは、自分のために生きるか、国のために生きるかの名残りだと思うんだけど、家族や仕事やパートナーや子供などに特に、同じ誤解したままのエネルギーが残ってる。
それをね、抜いていこう。
誰かのために、なにかをしてあげたいという気持ちって
ほんとうに愛で、
世界はそういうきもちに支えられて、回ってる。
最後に破綻してしまう愛は、
誰かのために、自分を犠牲にしてなにかをするということ。
そして、最後に、全員が本当の幸せに向かう愛は、
誰かのために、自分のできる範囲でなにかをして、あとは祈ること。
わたしたちの身体はたったひとつしかない。
腕は2本しかついてない。
手のひらは、どれだけがんばっても2つだ。
大切なものを握る手は、2つしかないのに、10を握りしめようとすれば、8はこぼれ落ちて、その矛盾の中で、いらない無力感を感じてしまったり、がんばってもがんばっても、誰のことも幸せにしてあげられない感覚がするかもしれない。
でもね、握る手が2つなら、たったふたつを大切にすればいいんだよ。
それで十分で、あぶれてしまった分の幸せを心から祈ること。
すると何が起こるかと言うと、
自分が良くしてあげたかった場所、幸せにしたかった場所、
そこに、自分以外の何かがきちんと入り込んで、そこが満たされてくんだ。
犠牲と愛は違うとずっとそう言ってきたけど、
いろんなケースを見てきて、この国で、「犠牲をやめよう」と言い続けても
どうしても届かない理由が、今はようやく理解できてきた。
それは愛から派生しているから、
そのことをまず理解して、
愛が、犠牲と、そして幸せを願う気持ちのふたつに分かれていくことを、本当に受け入れた上で選択していくこと。
それができれば、すべての犠牲は消えて、みんなが無理することをやめて、
それでも愛は各所に行き渡ってゆく。
日本がそんな場所になっていくといいね。
自己犠牲は、上のような誤解が発端で起きていることがほとんど。
自分のなかに、愛や思いやりや、誰かを本当に幸せにしたかったんだという気持ちが溢れかえっていたことに気付き
それを完全に消化するまで味わってゆけると、変容が起こる。
自分がその気持ちをここまで持っていたということを受け入れられると、無理して何かをしたり、行動しなくてはいけない理由がなくなるからなんだ。
それは、誰かのために、「何もしない」とは真逆に位置している。
のびのびと自分が幸せでいながら、誰かが安心できる人生を歩んでいくことを願ったり、それが叶うことを信じること。
そう、それは自分がいなくても、きっと相手は幸せな生活が送れるだろうと信じることでもあるんだね。
それは全てを癒やし、犠牲を紐解き、いつか国のために大切な命を投げ打ったわたしたちの祖先までを浄化してくれると思う。
犠牲にしていいいのちや身を削っていい場所なんて、ほんとうはどこにも無いから。
優しいひとは、誰かのために生きてしまいがち。
深い愛があるひとは、自分を見失いがち。
あなたがあなたのために生きることは、何よりの祝福で、みんながそれを望んでいるよ。