Day 25 なんだかわからないけど死ぬほど疲れたら


(音声録音してるところ)

 

 

わたしがこれまで、

”なにがなんだかよくわからないけど、死ぬほど疲れた。”

とボロボロになるとき、多かったのは【セラピスト】の役割にはまり、それに気づかないまま役割を生きていたときに起こったように思います。

去年キツかったのは、知らないうちに【発達障害の人間】の役割にはまって、外からも掘り固められて死にそうになったやつ。今は無事に抜けだせたけどアレはやばかった。

 

役割というのは、まあたとえば(おかあさんとはこうあるべき)と、思いながら頑張ったり、

(あの人の娘としてこうふるまうべき)と思いながら最後まで演じたり、

(この職業なのだから、このくらい売れているはずだ)とそこに必死でしがみついたり、

色々です。

 

その、立場や役割についたイメージや、自分が結びつけてしまった思い込みの通りに立ち振る舞おうとするとき、大抵は【自分】を置き去りにしています。

なんでコレ起こりやすいか考えてみたけど、日本は特に、

【そのひとそのもの】を見るよりも、

【そのひとの年齢】や、【そのひとの肩書き】や、【そのひとの職業】や、【そのひとの立場】みたいなもので、コミュニケーションを取ろうとする文化が関係してると思うんだ。

その点、アメリカなんかで暮らていた頃よく思ったけど、だれも相手が何歳だとか、何してる人だとか、ほぼ訊かない。誰も聞かない。

(おねえちゃん中国人だよね、あのチャイナタウンのxx行ったことある?とかはいきなり言われるけど😅)

何者でもない状態で相手と健やかに関われることは、自分らしくあるためにとても楽な環境なんだと思う。

 

でもその点日本では、まず周りが【この人の背景がxxってことは、きっとこういう考えかただよな】のような、”期待”や、”偏見”、”思い込み”を持って接してきます。

おそらく自分たちも自然と、相手を見定めて、推測して、そして敬語を使うか否か、目上か否か、失礼がないかどうか、たちふるまっているはず。

 

その時に、相手からそれをしっかり感じ取りながら、平気で裏切るというのはなかなかハードなもの。

しらずしらずのうちに、相手が自分にもっているイメージを演じてあげようとしてそうなる部分もたくさんあるんだと思う。

 

セラピストの役割に繰り返しはまってズタボロに消耗しては抜け出して、習熟せざるをえなかったのも、苦しんでいるみんながどこかで自分に『マイさんならきっと完璧にやってくれるだろう』的な期待に、とにかく応えたいとしていた部分もあるし、セラピストの先生として、みんなを間違いなく導きたいと思っていたのもある。

 

まあそれはプロなら誰もが繰り返しくぐり抜ける部分なのだと思うけど、

【絶対に解決する。】と決めて自分も向上しようとしてた結果、時々ストイックにやりすぎてしまうんだね。

 

なんにせよ、「役割を全う」しているときの、自由で気楽な感覚の伴う責任とは対照的に、

「役割にはまって」いるときの、がんじがらめでガチガチで、苦しい義務のような重たい責任は、

エネルギー的にはまったく異質のもので、セラピスト関係なく、最後にはわたしたしを疲弊させていしまいます。

xxxとして頑張る前に、ひとりの人間だからね。

完璧じゃ無い部分や、弱い部分、助けが必要な部分を置き去りにしては、やっぱりどこかでバランスを崩してしまう。

 

役割を全うするのと、それにはまっている状態の大きな違いは何か。

それは、

演じていることに気づいているか、気づかずに演じてしまっているか、の違いかな。

 

仕事でも立場でもなんでも、健やかな範囲で

それを演じている自分に気づいていること。

無理しそうになったら、力を抜くこと。

 

これが意外に難しいけれど、一度仕事でも、子育てでも、パートナーシップでも

へとへとに疲れてしまって、もう何もかも辞めたいと思ったときに

「役割にはまってしまっていないか」を、振り返ってみてください。

 

仕事をやめたり、子育て放棄したり、離婚したりする前に

【自分は、こうあるべき、こうすべき】と感じている部分のほうを、手放していこう。

 

全部休んだっていいから、そのままのあなたで十分だから。

それだけで、人はあなたを必要としてくれるよ。

 

 

重たい鎧を全て脱ぎ捨てて、丸裸のそのままの弱い自分を大事にしてあげよう。

 

そのときはきっと、守ってきた全てを失う気がして怖いけど

最後結局、自分が自分に戻ったときに、それでもそばにいてくれる人が必ずいるから。

 

それが、本当の愛だから。

 

くたくたの、ボロボロになって、もう本当に何もかも無理と

疲れ果ててしまったときは、底辺まで届く愛でつくった、オールイズグッドをどうぞ。

 

 

All is good. -オールイズグッド”大丈夫”

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