Day 28 ほしいものが手に入る絶望のこと

これまで、数々の種類の

絶望という絶望を

味わい尽くしてきた中でも、本当に本当に欲しかったものが

遂に、最後

手に入る瞬間の絶望ほど

わたしたちを脅かすものは無いなあ。

そんなふうにたびたび思う、今日この頃

 

これが欲しいのに手に入らない、不満

どうしても手に入れたいのに、なぜか永遠に持てない苦しさ

 

そういうものを、皆それぞれ持ち合わせながら追いかけ
遠のき執着し、また追いかけ生きていて

 

実は、それを「手に入れる」ことは、この世界で最も怖いことのひとつだということに、本当に気づいているひとはどのくらいいるんだろうなあと思う。

 

豊かで、愛に満ちた人がもしも、表面的ではなく本物か否かを

見分けるひとつの方法は、

その絶望のことを、よく知っているか、はたまた「わたしは豊かで幸せ!」と思っているか。

そのどちらかくらいなんじゃないかなあと思いながら

 

これまで、

「本当に高みに上がってほしい人」や「本当の豊かさに向かおうとしている人」に、その”絶望”の話をしてきた。

 

 

わたしたちが、本当に欲しかったものを手にいれるのは、同時に、夢にまで描いた、憧れの状況や、憧れの愛や、憧れの豊かさなどなど

いつもその理想を空想上で描いていた場所から

遂に、現実として全てを知らなければいけなくなるということを意味する。

もしも、想像と違っても、もしも、理想とかけ離れていても、それも全てを受け入れた上で持たねばいけないものなのだ。

 

そして同時に、これまですべての生きる原動力だった「欲しい」という情熱

「手に入れたい」というモチベーション

「そのためにがんばる」という目的などなど

 

手に入れた瞬間に、向かうゴールを失うということを意味する。

 

それは、それは、長く執着し、追いかけ続けてきた期間が長ければ長いほど

絶望の度合いも大きくなるんじゃないのかあとすら思うくらいに。

 

 

ただその【絶望】怖さに、ほとんどのひとは、

本当に欲しいものに、一番欲しいものに

手を出さない。

 

それが本当に手に入ったときに、どんな恐ろしいことが待ち受けているか、察知するからだ。

そして、それに圧倒されて死んでしまうよりは、のらり、くらり、

(xxxがほしいのに手に入らない)とぶつくさ言いながら生きた方が、よっぽど楽で幸せだから。

 

 

 

いまだにあの、絶望のことは、とても不思議で、しかしそれは、わたしが作った11の香りの絶望から祝福へと一転して一周するのとおなじように、

しばし静寂として訪れたあとに、

絶望はあとかたもなく消えて、そして

「今まで本当に願っていた夢が、いまそばにある」穏やかな幸福や安心感、涙がでるほどの感謝のきもちへと変化してゆく。

 

 

豊かさや愛や、みんなが追いかけるそれが

もしも、いつまで経っても手に入らなくて苦しいなら

その絶望を覚悟して、なんというか、「諦める」つもりで臨むとよい。

夢をあきらめるのほうの諦めではなく、夢が叶うということがどれくらい絶望なのかということを、素直に受け入れるほうの諦め。

 

そうすると、いつか願っていたことは次々と目の前で現実化していったりする。

 

 

ちなみにわたしが一番最近、死ぬほど絶望を味わったのが

(山下さんが、なんとなく、この先もずっともしかしたら私と一緒にいてくれるかもしれない)とうっすら確信した時だった。

 

最初なんだろうこれ、なんでこの幸せ絶頂の案件に、この独特の絶望、よく知ってるやつ・・・

 

そして田んぼ道を静かに歩き、空をあおぎ、

 

「そっか、わたしはそのくらいに、彼を待ち続け、待ち焦がれ、ずっと追いかけ、それだけを願ってきたもんな。」

と納得した。

 

2日もその絶望は持たない。

気づいたら消える。

 

 

本当に欲しいものが手に入る絶望を、果たして「絶望」と呼ぶのかはちょっと謎なんだけど、いろいろな感情のなかで最も近しい感覚が「絶望」であることには間違いない。

 

もしも近くになんでも全て欲しいものを手に入れているように見えるひとがいるなら、一度その絶望のことを聞いてみるといい。

 

何それって言われた多分その人は3次元。(物質的な世界。)

「ああ、それね」と言ったら、多分その人は本物。(高い次元。)

 

 

 

この、祝福と絶望が隣り合わせであることもまた、

なんともオツだよね。

 

絶望にはじまり祝福で一周する、11種類の愛の旅をお楽しみください。

ほんとうに欲しいものを手に入れるまでのすべてのプロセスが、揃ってます。

 

11種の香りの説明

 

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