偽の(ひとつ)を、ほんものにしていく旅

なにか根深いテーマを一から根本解決していこうと動く時、表層の1つを取り除いたら、はい、それで治りましたよ。

と終わらないことがほとんどだ。

もともと視野に入れていた、「日本全体における人権への低い意識」を、どこから切り込んでいいか分からずにじっと個人の感情や癒しに焦点を当て続けた数年間。

そして、個々の感情的な浄化や癒しと合わせて、2つの大きな山が複合的に絡み合っていることが見えてくる。

それが、日本語の言語の仕組みと合わせてコミュニケーションのあり方の土壌がないこの国の元々の文化と、

家族愛の認識の誤解や成り立ちなど。

感情的な部分の癒しを最後まで進めた先には、周囲の人たちへの癒しへと派生していくことはもちろんだけど、それには

 

ひととひとがどう関わっているのが然るべき姿なのか?

愛があることと、愛を使うことはどう違うのか?

 

自分と他者との関わりのことを見通しよく理解していかなければならない部分だと思う。

 

この国の現状にハイスタンダードを求めてしまうのは、そこに資源があるから。

いつも、個人の癒しをみんなに課して進めてもらってきたときもそうだったけれど、元々のポテンシャルが無い人に、どれだけいくら愛について語ってもそれは響くことはない。

結局高い水準(意識や波動について)まで引き上げる心算(こころづもり)で関わることができるのは、その人がそれだけの場所まで上がる・可能性があるか・やる気があるか・自分の力が及ぶか

などがかけ合わさってこれまで成功してきたとおもう。

 

 

「日本」という対象を前に、それは大きく果てしなく、

それでも指を加えてぼんやりビオラやパンジーの花について夢を馳せているだけでは前に進まない。

 

自分が率先して変わってゆくこと。

身近な人を変えてゆくのではなくて、身近な人が変わってゆくことを芯から支えること。

日本がいつか掲げた、【本来】の”みながひとつ”に戻ってゆくこと。

 

 

いつの時代まで、それはきちんと愛で成り立っていたのだろう。

 

まだこの人生日本人に生まれ落ちてたった40年弱のわたしには想像もつかないけれど、

今の日本の、個々の気持ちや感情や人権を無視し続けた結果にできあがった、人々が傷つけ合い続ける

偽の【ひとつ】を死ぬまで解体しつづけてやる。

 

とおもう10月の後半なのであった。

 

 

 

 

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