12-6-2021 記録
誰かの痛みを知るということは
多分、愛の中でもより高い次元に属しているもので
なかなかできることではないのだと思う。
それは、自分たちの不甲斐なさを、真正面から認めていったりとか、自分たちの至らなさとか無力さを、真っ向から認めていったりとか、なにもできなくてごめんという、たまらない苦しさをも受け入れていかなければいけない、そんな愛だからだ。
愛するというのは、恋愛みたいにただ甘くて優しくて、嬉しいだけのものもある。
でも、もっともっと上がっていくたびにそれは、哀しさや痛みをうんと孕んで、それすらをも全て包括していく旅になってゆくから。
自分たちの気ままなこころで誰かを助けることは、価値がないことではないけれど
ほんとうに理解して、誰かの痛みに寄り添って、そして真摯に何ができるのかを考えていくことは、自分のためにアレコレ生きてるうちは、まず起こらない。
誰もが、全員そんなふうになることはいきなりは無理でも
ただそんな愛に向かって行けるひとが、この世界にひとりでも多く増えていけますようにとねがう。
そんな愛に触れた時の、たまらない涙を見るたびに
哀しいよね。苦しいよね。痛いよね。世界でいまだに誰かが苦しんでることが、たまらなく辛いね。
と温かな気持ちになる。
その涙がまた今日も、世界のどこかで苦しむ誰かに流れていって救うんだ。と思いながら。