Awareness アウェアネスタオ

タオさん今年1年生。まだサンタを信じてる。

きょうはすごいビビったことがあったので備忘録。

 

 

たおさんはこれまでも、2歳とか3歳とか、まだワンワン泣いてるくらいの頃から

感情の解放という技術をセラピストの母親からガチンコでやらされてきた。(まじでここはスパルタ英才😂)

いつどんないかなる時も、ボヤッと悲しんだりボヤッと怒ったりして、そのままで来たことはなくて、全部のカルマの芽を摘み取るきもちで

逐一癒しを課してきた。

 

おそらく一般の大人からすると、【いやそんな難しい概念大人だってわかんないから】ってやつも、ひとつひとつ考えさせて、【いやそんなの子供だったら誰でも泣いて終わりでしょ】で済まされるやつも、

あえて子供だからこそ、まだ感情の歪みや蓋が少ないからこそ、

ていねいに解体と浄化を続けてきたと思う。

 

今日は、前回プールがやっていなかったことが悲しくて、そのことを思い出しちゃうから、週末はプールに行きたく無いと言い出したので、

 

”何が悲しかったのか”に焦点を当てて、いつもどおりこころの掃除をすることにした。

 

ながらく癒し業をやってるけど、こう、「自分が何を感じているか」を丁寧にみていける人はとても少なく、ある程度の訓練が要る。

瞑想とかでいうとこのアウェアネス、気づいている状態を保つのは、普通おとなでも難しく、大人の世界でひたすら混乱させられる子供は、すでに

気づきからは離れた状態になりがちだと思う。

まだ喋れないくらいの赤ちゃんが、調和がとてていて、誰にも邪魔されずに気づいている状態を保てるくらいで、この世界で言葉を覚えて成長していき、エゴも順調に育っていくと、

ほとんど「悲しいけど何が起こってるか全然わかんない」という図式ができあがる。

 

最初「何が悲しかったか一緒にもういっかい見ていこう。」

と誘って、プールがやってなかったのが嫌だったのか、それともママとパパ(山下)が険悪だったのが嫌だったのか、

どのへんが悲しくて、まだ引きずってるのかを探そうとした。

 

 

「何が悲しいかよくわからないけど、悲しい。」

としょんぼりした顔を見せたので、「うんうん、じゃあわからなくてもいいから、その悲しいがいなくなるまで一緒に感じてあげよう」

と声をかけた。

 

癒しや解放、浄化に、理由を説明する必要はない。

何が起こってるかよくわかんなくても、浄化は起こるものだから、無理に具体化しなくともよいのである。

 

するとしばらくハグをして、悲しげな声で理路整然と説明をし始めるたおさん。

 

「あの日、春日井のプールがやってなくて、大口のプールにいったのに、タオくん寝ちゃって、それで起きたら体がえらくて、だからプールに入れなかったことが、とても悲しかった。」

 

 

↑これの凄さがわかる人は、多分セラピストやってる人だと思うw

(たおさん7歳)

 

この日、春日井のプールに行った我々は、大会のため貸切で入れないことが発覚、しょうがないので隣町のプールまで山下さんに車を走らせてもらったのだった。

疲れて寝てしまったタオさんは、大口のプールに着くと泣いてしまい、お家に帰りたいと言った。

何度か誘ったけど入りたくないと言うので、しょうがないいねと言って仕方なく家に帰ったんだけど、何が嫌だったのかはわからなかった。

 

最初、「春日井のプールがやってなかったことが悲しかった」

と言ったたおさん。

気づいていない状態だと、通常、(ほんとうの理由)ではない場所に焦点が当たる。

こうなると、結構いろいろな部分に矛盾が生じてくるので、聞いているほうは

「なんか変だな」と思う。

セッションとかやってても、

「わたしこれがすごい許せないんですよね」

と言う人の話を、わたしは言葉通り聞くが、それが実際の理由とは違う場所に位置しているかが一発でわかる。

 

たとえば旦那さんのxxが許せないと言ってても、

あ、この人自分のこの部分を拒否ってるな。それがお母さんから来てるな。そんなわけで旦那さんに投影してるな。

 

という感じで。

 

ちょうど、幾つかの鏡がいろんな角度で立ててあり、まんなかに置いてある本物のリンゴが腐った部分が写って反射し、写ったものがさらに別の角度のに写り、

見てる本人も、どれが本物のリンゴか騙されてわからなくなってるのに似ている。

 

話をきいているほうは、3段階くらい間接的に反射されたリンゴから、

本物のリンゴの位置を割り出すというわけだ。

 

そして、この本物のリンゴにたどり着くことができる状態とうのが、

「気づいている状態」

何がおこっているのかがわかっている状態。

アウェアネスというわけ。

 

たおさんは、春日井のプールがやってなかったことにヘソを曲げたわけでもなく、山下さんとママが戦っていることにうんざりしたわけでもなく、

昼寝をして身体がしんどかったことで、思うようにプールに入れなかったことが

悲しかった。

という”真実”に、ものすごい短い時間で自ら辿り着いたのだった。

 

 

かなしげでプールはもう行かないといった様子だったタオさんは、

真実にアクセスした瞬間に、顔が明るくなった。

自分で悲しさを直接抜いたのだ。

 

これまでも、とても辛い時間に気を失うまで泣いて、浄化し成長する姿は見届けてきたけど、今日みたいなとてもささやかで、何気ない日常的な感情だからこそ、こんなにも的確に抽出していたことに驚いた。

 

週末は、プールに行くよと言って、彼はベッドに向かった。

 

 

多くの人は、悲しいことを思い出そうとしない。

なぜなら、あの日のプールの話をすれば、悲しくなってしまうから。

でも、実際は今日のタオさんの例のごとく反対で、

悲しいときに、悲しいことにきちんと光を当てていくことで、

「悲しくなった原因」がきちんと理解できる。

 

すると、今度はシンプルな解決ができるようになる。

悲しさは、悲しさとして心の奥に埋め込まれるかわりに、自由に空へと羽ばたいて消えていく。

 

こんなことができるようになったのも、この1年本当に頑張り続けてきた結果だね。

そんなふうに思いながら、なわとびの交差とびができるようになったとか、今日は2年生に電卓でこんな使い方を教えてもらったとか、あれこれ話してくるのを遮って、

「ママは心の話はわかるけど、電卓のはなしはわからんから、山下さんにその話はしなさい」と言った。

 

なにかができるようになることは、どれもすばらしい。

 

でも、大勢のひとが、こころの扱い方や、こころの本当の掃除の仕方や、愛し方で迷うなかで、

そこがいつも明晰であることは、なによりのギフトだと思う。

 

たおさん凄いよ。

 

ママは君が誇らしい。

明日は将棋教室😃

 

 

 

 

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