ロゴのお仕事と、これから。

ロゴのお仕事の依頼をいただいた。

嬉しい夜になった。

 

この1年ひどい醜態をさらしてきて、周囲のひとびとや家族は疲弊しきり、恋人は去り、わたしの全力で自分を知ってもらおうと

本当の醜いすがたを皆に垂れ流し、精神科の閉鎖病棟にも閉じ込められ、警察にも保護され、救急車にも運ばれ、行方不明の捜索願も出された1年だった。

昨日も自殺の脅迫をしながら暴れて、ロープをたおくんにブン取られて収拾。

 

自分がなにか正しいことを貫いたとは到底おもえない。むしろ長年のうっぷんを晴らそうと暴れてるように見えるかもしれない。間違いだらけで止めて欲しいときだって山ほどある

でもわたしは38歳で急に不良になったわけではない。

発達障害と診断されてから、発達障害の人間風に生きてみた1年だったのだ。

 

どっちかといえば、結局やらかし失敗し、過去の経験をいかしきれずに大事な人をうしなった。

かといえ自分が、なにか間違っていたのかといえば、それは

やってみて、ぶつかってみるまでは

わからないものだったし、全力は尽くしたから悔いはない。まだそして、その旅はのんびり続く。

軌道修正をしてゆけば、良いのだと思っていたし、ずたぼろになるまで我慢もしたから。

 

 

そして思う今日

毎日、崖の上を歩いてるみたいに
どこに向かってるのかがわからなくて、
何がしたいのかも
本当にわからなくて、もがいてた

さっきね、なんか
わたしは普通の人としていきていきたいんだなあ。

ていうのがまだうまく言語化できないんだけど
降りてきて

その
「普通」が何を意味するかもまだ
すごく漠然としているのだけど

一筋の敷かれた道が向こうに、イギリスの片田舎の馬車が通る道みたいにゆるやかに繋がっていった気がした。

 

そしたらロゴの依頼のメールが来ていたよ。

また絵描くかね。

この一年発達障害をとことん掘り下げてみて

もちろんその切り口から捉える自分が一生続くわけじゃなく
通過点であることは理解できたけど
それにしても、苦しくて

途中のそのどまんなかで、大事な人は去って行った。

 

 

この日本に
求められているものや
みんながそれぞれ違うミッションで戦ったり
歩んだり
光を紡いでる中で

わたしは
何がしたいんだろう、が全然見えなかった。

りゅうじがいなくなって、「普通」ってなんだろうって考えて
みんなに、りゅうじみたいな男を選ぶから悪いみたいに言われて

どうしてりゅうじがいいんだろうと考えて

そんなふうに一月も半ばを過ぎてしまった今日

わたしは、とにかく共存がしたい。

ベジとノンベジ、(3次元と4、5次元)が別れて生きる世界じゃなくて、争いなく当たり前に同じ世界で補い合って生きられる世界

英語と日本語で
コミュニケーションも言葉もまるで違う通じ合えない世界を
せっせとつなぐ翻訳の尊いしごとみたいにさ

精神障害の旦那さんとおくさんや、発達障害のおくさんと定型の旦那さんが、一緒にいようと死闘したけどできなかった場所に橋をかけて

正反対の愛してるひとと
わりきったつまらない関係ではなく、愛がある、ふかふかに一緒にいられる世界を作りたい。

(て同じことはずっと言ってるんだけど💦)

日本で、変な人たちがもてはやされたり
特別に見られることが
わたしにはまだ理解ができなくて

でも反骨精神や抵抗や怒りみたいの
全部焼き尽くしていった先に

なんか、違う。

てただストンと落ちて
その上で
わたしが生きる道を作らなきゃって
やっと
思そうな感じがした夜だった。

 

具体的には

何も変わんないかもしれないけど

いつもどおり料理をして、花をいじって、ブログかいて、セラピストの仕事して、絵のしごとして、ロゴの仕事して、誰かの悩みに答えて、発達障害っ子たちの希望になるように少しでもがんばるとか。

家族や、愛するひとと暮らす夢は一旦消えたけど、別に諦めなくてもいいよね。

 

わたしには、自分とタオだけが残り

そこの風通しは相変わらず悪くなくて

喧嘩もするしぶつかるけれど

最後にはいつもお互い謝って、泣いて、ハグして前に進んでる

 

 

これから、またわたしは

自分がなにをしていくのかを淘汰させてく

普通のこと

するよ

本当

とんでもなく惨めで醜態しか見せてこなかったわたしにも

一応美学というのはある。

こんなふうに生きていけたら、素敵だと思える姿が

なんとなく、あるんだよ。

 

 

それはきっと、なんかうわついたユニークなものじゃない。

地に足がついた、かたぎな感じがする。

真面目であることはいいことさ。

みんな苦しむけどね。

 

 

 

 

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