3次元は優雅で5次元は貧乏の誤解

3次元の人と関わる窮屈さ。

できないことやわかりづらいこと
余計なことや失礼なこと

汚染された川のように
ゴミを投棄されてるような気持ちになって耐えらるない。

会話の中にも「無償」とか「飯食えてるんやったら無理してxxやらんでもエエやん」とか

ダイレクトに言ってくる人も増えてしまい。

5次元を理解できる人も3次元側で発言してくる。

自分の価値の無意味さを感じる。

お金に苦労しない分
心は死んでゆく。

3次元=お金を稼げて優雅な生活ができる
5次元=何を言われても我慢し続けてそ枠な生活を強いいられる。

それが抜けない。

 

 


女神の告白室女神の井戸端会議
ご利用いただいいているみなさま、いつもありがとうございます。
月額2000円でいろいろ投稿していただくと
ランダムに返信コメントしてます。


 

 

お金で苦労するのが、高い次元のひとたち

お金に苦労しないのが、3次元のひとたち

 

という誤解

 

はみんなの中に、根深くて

実際は、3次元的な感覚で生きているひとこそ「お金の価値」に囚われていきており

高い次元の感覚で生きているひとたちは「お金の価値」に縛られていない

だけであって

 

持ってる量は、本当無関係

 

「お金の価値」に囚われているからこそ、惨めでお金に困り続けている人はたくさんいる。そして「お金の価値」に囚われているからこそ、お金持ちになれて、それを守ろうとしているひともいる。

そして「お金の価値」に縛られなければ、困ることがあまりない。質素でいることがいいとか悪いとかではなく、それ以上も以下もないと感じる人たち。

そして、「お金の価値」を十分知り、その存在に感謝できることは、自由であることだ。

囚われて、守ろうとしてなったお金持ちのひとと

感謝して、たくさんのお金を持ちながら、その使い道を考えているお金もちのひとは

基本、波動がまったく違うから。

 

 

だから、

我慢は3次元も5次元も同じ

優雅も、3次元にも5次元にも存在して

 

何を言われても我慢するのも、3次元のほうがむしろ色濃く、高い次元は我慢というかは、仕事ってかんじかもしれないね。

 

3次元=お金を稼げて優雅な生活ができる
5次元=何を言われても我慢し続けてそ枠な生活を強いいられる。

 

 

我慢して、自分を抑えて、おいしいものを誰かに取られるのが3次元。

自分のほうが豊かだから。といつでも食べられるから、と、おいしいものを、愛するひとに譲れるのが、高い次元。

 

だから、豊かなのは高いほうだとわたしは思うけどね。

腹をすかせることが高尚なんじゃなくて、すでにいっぱいだからと差し出せることが素敵だから。

 

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。