3次元の人と関わる窮屈さ。
できないことやわかりづらいこと
余計なことや失礼なこと
汚染された川のように
ゴミを投棄されてるような気持ちになって耐えらるない。
会話の中にも「無償」とか「飯食えてるんやったら無理してxxやらんでもエエやん」とか
ダイレクトに言ってくる人も増えてしまい。
5次元を理解できる人も3次元側で発言してくる。
自分の価値の無意味さを感じる。
お金に苦労しない分
心は死んでゆく。
3次元=お金を稼げて優雅な生活ができる
5次元=何を言われても我慢し続けてそ枠な生活を強いいられる。
それが抜けない。
女神の告白室・女神の井戸端会議
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お金で苦労するのが、高い次元のひとたち
お金に苦労しないのが、3次元のひとたち
という誤解
はみんなの中に、根深くて
実際は、3次元的な感覚で生きているひとこそ「お金の価値」に囚われていきており
高い次元の感覚で生きているひとたちは「お金の価値」に縛られていない
だけであって
持ってる量は、本当無関係
「お金の価値」に囚われているからこそ、惨めでお金に困り続けている人はたくさんいる。そして「お金の価値」に囚われているからこそ、お金持ちになれて、それを守ろうとしているひともいる。
そして「お金の価値」に縛られなければ、困ることがあまりない。質素でいることがいいとか悪いとかではなく、それ以上も以下もないと感じる人たち。
そして、「お金の価値」を十分知り、その存在に感謝できることは、自由であることだ。
囚われて、守ろうとしてなったお金持ちのひとと
感謝して、たくさんのお金を持ちながら、その使い道を考えているお金もちのひとは
基本、波動がまったく違うから。
だから、
我慢は3次元も5次元も同じ
優雅も、3次元にも5次元にも存在して
何を言われても我慢するのも、3次元のほうがむしろ色濃く、高い次元は我慢というかは、仕事ってかんじかもしれないね。
3次元=お金を稼げて優雅な生活ができる
5次元=何を言われても我慢し続けてそ枠な生活を強いいられる。
我慢して、自分を抑えて、おいしいものを誰かに取られるのが3次元。
自分のほうが豊かだから。といつでも食べられるから、と、おいしいものを、愛するひとに譲れるのが、高い次元。
だから、豊かなのは高いほうだとわたしは思うけどね。
腹をすかせることが高尚なんじゃなくて、すでにいっぱいだからと差し出せることが素敵だから。