いつか、人が癒される時間は、この世界を照らす優しい光であって、同時に自分の浄化でもあり、自分を愛で満たしてゆき、そして最も自分自身も癒される
そんな時間だった。
人が癒されていくさまというのは、
なんというか、この世界でもっとも真実に近い場所にあるというか、とてもリアリティがあるというか、こう、形あるものを手のひらでにぎにぎと握るときに感じるあの確かな感触だとか、目に見える数字を数えて確認するとか、そういうものよりも遥かに、現実に近い場所に属していると思う。
そのくらいに、それは、この世界に必要なものだとそう思った。誰にとっても、それは最も大切なことであり、そしてこの世界が愛に向かってゆくための、より自由に向かってゆくための、唯一の方法だと
きっとわたしはそう思ったのだ。
そしてわたしは、そこに「正しさ」を与えてしまった。
それが真実であり、真実にとても近い場所にあり、誰にとっても必要だとそう思ったわたしは、それこそがこの世界に必要な「正解」なのだとそう思ったのだ。
それは、わたしの信じた世界を、黒い雲で覆うことになった。
真実は真実であり、正しさではない。
愛は愛であり、それは正解ではない。
癒しは癒しであり、それは正義ではない。
そのことに気づくまで、気づいてはいても手放すまでに、どれほどの時間を要しただろうと思う。そのくらいにわたしは、癒しからどうしても遠ざからねばいけない時間を過ごし、そしてそれを否定し続ける時間はとても、辛いものだった。
なぜなら真実は、否定し続けてもそれは真実以外の何者でもないからだ。
わたしは正しさから抜けるまで、セラピストである自分を恥じた。セラピストである自分を否定し、価値を無くそうとした。
その「絶対」が、クライアントさんの言葉を借りると”暴力的”だということは、自分の周囲にいたひとが次々といなくなってしまったことからも、よくわかっていた。
人に押し付けないとか、正しさから抜け出すとか、そういうことが上手にできない代わりに、自分を否定し続けて、癒しを否定し続けて、ふと思いがけず(あわよくば)セッション中などに浄化や癒しが起こってしまった日には、ものすごい葛藤の中で、沈没する時間を過ごさねばいけなかった。
なぜなら、目の前にいる人は癒され前に進むことを望んでおり、真実に向かっており、それは素晴らしいことであり、実際にそれを手伝っているにもかかわらず、口が裂けても
こんなことをして、何になるのか。
ほんとうにこれは、意味があるのか。
そんなふうに自分を否定しながら、癒しを否定しながら、同時に本人の人生における進化においては全肯定しなければいけない矛盾の狭間で
もがき続けた。
わたしの、最後の砦となった、自分のパートナーを癒してゆくという過程は、結局これまで自分が否定し続けた真実が、真実以外の何者でもないと本当に腑に落としてゆく過程となった。
そこに、正しさはない。
わたしが大勢の人の癒しに立ち会ってきた中で、最も最後まで、それを拒絶し、抵抗し、否定し、信じず、受け入れなかったのは、まぎれもない自分のパートナーであり、いろんなクライアントさんの闇や傷ついた根深さを見てきた中でも、最も傷の深かったのが、彼だった。
出会った頃に癒しの必要性を丁寧に説明して真っ向から跳ね除けられてから、5年以上が経過して
そしてこの2月。いろいろな流れとタイミングで、遂にそれは皮切りとなった。
はじめはひたすらに自信がなく、なぜならば私から「癒しは正しい」を奪い、癒しには価値も意味もないという誤解を与えてくれたのが、まぎれもない彼だったから。
彼を癒すことよりも、わたしは、癒しに対する信頼や、そこにある真実や愛を、もういちど取り戻すことのほうが苦しかった。
何度トライしても、疑いと苦しさと自信のなさに放り込まれて、それでも続けてやく1週間と少しが経過する。
通常のクライアントさんで週一や二週に一度くらいのペースでセッションをやるのに比べて、今回1日一度必ずその時間をもうけることをトライしている。
愛を交わす方法というのは、人それぞれであり、誰かと関わり繋がる方法は、また人それぞれであり、コミュニケーションの方法もまた、人の数だけ存在する。
それでもわたしにとって、「癒し」というのは、相手と繋がり、真実を見せてもらい、そして自分のもてる愛すべてをそこに与えてゆくという関わり方として
もっとも自分が自分でいられる、方法なのだと。
そんなふうに感じる。
相手の痛みを、感じてゆく。
それを刻々と癒し昇華させていったあとの、安堵や優しさや、包まれるような愛の感覚
そして日に日に育ってゆく信頼や、心が開かれてゆくこと
こんなにも、自分が彼を愛していると、これでもなお、進化する愛情のこと
毎日違う顔を見せられるときの愛おしさ
どれも、これも
癒しを迂回しては、決して体験できなかったことばかりだとそう思う。
彼に出会ってから、何度も「今までに味わったことのない感覚だ」と言われて、いかに自分が他の人と違うかを伝えてもらったけれど
自分もまた、多くのひとを愛してきてなお、彼との経験を通して何度「今までに味わったことのない感覚」を与えてもらったか、わからない。
その旅はそして、ようやく始まったのだと感じる。
長い、長い遠回りを経て、わたしがもう一度、癒しを信頼できるようになるまでに。
「癒し」の仕事は、これで最後だろうとそう思った、彼を癒すこと。
どんなに苦しくても、どんなに身を引き裂かれようとも、セラピストとして最後、責任を持って、やるべきことをやり終えたい。
そんな一心で始めた彼の癒しは、自分が囚われていた
正しさや正義をようやく脇に置いて、ひたむきに信じるこころだけを取り戻すことになる。