わたしを家族にもてた家族は、幸せである

それは、必ずしも劇的でなくていい。

それは、必ずしも劇的でなくていい。

 

これを書いて

思った。

 

 

そうか。だからわたしたちは、家族として生まれてきて、そして大人になり、自分が連れそう家族を自分の手で選ぶようにできているのだと。

2回、かぞくを選ぶチャンスを与えられてきてるのだと。

離婚したりしたら3回、2回りこんしたら4回?

 

 

こんな家族に生まれて幸せだったから、自分もそうしようと思う人もいる。

こんな家族に生まれて辛かったから、自分はこんな家族を目指したいと思う人もいる。

 

そして、その与えられた生まれた環境と、そのあと自分が決めてゆく両方を

わざわざ私たちは選んで

そうして生まれてくるのだと。

 

 

わたしも小さい頃から

家族が、一見かぞくのかたちをしているのに

すべてがバラバラだったことが

たまらなく、辛かった

 

自分の世界はどれほど調和に満ちていても

家に帰るだけで

家にいるだけで

 

その、全員があさってを向きながら

不満をぶつけながら

なお、よそよそしい優しさと自己犠牲の思いやりで塗りたくっていることが

たまらなく、死にたかった。

 

いまでもその中に入ると、死にそうに苦しくなる。

今朝も泣いちゃった。

死にかけの、寝たきりのボケてきてるお母さんが

 

お父さんの留守に

「お父さんは?お父さんは?」

 

と不安と寂しさと不満の入り混じったことを言うと、胸が苦しくて涙が溢れてくる

 

そして

そんな気持ちをすべて無視するかのように一切気にもとめずに気づかないお父さんのことも

いつも、いつも許せなくて

 

 

でもだから思うんだよね。

 

シンプルに

 

 

わたしは、心底大切に向き合うことのできる相手とでなければ、家族にはならないし、そういうひとと、ひとつになれるかぞくを創ると。

 

そして、自分が、そういう場所を大切に目指して、

どんなにくるしいときも、その自分が大切に思う調和に満ちた世界を信じて疑わずに

幸せと愛の中で、相手を思いやれたら

 

それだけで、わたしの生まれてきた家族は

わたしって人間を娘に授かったことだけで

めちゃくちゃ幸せだと。

 

そうおもうんだ。

 

 

わたしはそういう愛の通用しない場所で

役立たずにされるが、

わたしは、愛が通用する場所では重宝されるし、

すばらしいことはどこかというと、

 

愛のエネルギーは、必ずそういう人間の生きる、3次元という場所に

目に見えないけれど、流れていくものなんだ。

 

水が高い場所から低い場所に平等に流れるように。

高いエネルギーは、低い場所へと自然と、流れる。

 

 

 

だから、苦しくても

辛くても、

 

君はそこにいるだけで、愛を流しているのかもしれないよ?

そんな自分を、ぎゅっと抱きしめて、えらいねって言ってあげるんだよ。

 

 

まいちん春分の前日に玄関を片付けてしあわせいっぱいの巻💗

 

 

親を愛せないと、
円満な家庭への劣等感で死にそうになる

心の中に毒が溢れて死にそうになる

幸せな家庭に生まれたやつは
全員不幸になればいいのになんて

思ってしまうよ

 

あたかかくてすてきな春分を、過ごすんだよ

どんなに苦しいときも、そういう時だから

自分が何を望んでるのかをはっきりさせるチャンスだってこと

そして癒しが起こるなら今だと、

そうおもうこと。

すべてが、愛につながっているよ。