それはお月さまみたいなもの

なんかね

誰かを愛したり
好きになると

すごく胸が苦しかったりするじゃん

それで
すきであればあるほど
苦しいことも
あるんだね

だから

わたしには、無理だなあ。
わたしは、そこじゃないなあ。

と思って
諦めるというか
手放すことは
自由なんだけど

すごいひとことでまとめちゃうと、

愛するとか
愛って

諦めるとか
手放すとか

なんかそういう次元に無いんだわね。

なにが言いたいかというと

諦めたり
手放すのは

苦しさの部分なの

だから

関係ごと
辞めちゃっても

やめようとしても
全部切り捨てようとしても

そういう意味で
無駄なもんは無駄だったりするんだね。

愛は
失われることが
無いからさ。

あとは自由という感じだね。

現実世界では物理的に
関わらずに
心の中だけで
想うもよし

関係を変えて
関わるトライをするもよし

果敢にアップデートを重ねようと
相手と頑張るもよし

でも最後行き着く場所は
ただ、自然な姿なんだとおもう

その2人にとって
どんなあり方が
一番一番
自然なのか

そこまで行くのに
成長を求められること
もちろんある

でもそれは

彼とか恋愛とか云々じゃ無い

自分が自分に戻るための
自分の中の神聖な愛に
還って行くための
成長だからさ

相手は
必ず自分の未熟さを
映し出してくれる

わたしは

それって辛いんだけど

嫌いな人に映し出されて頑張るよりも
愛するひとに映し出されてがんばった方が

楽しいし幸せかなあって思うね。

誰かを好きになれること
それは
そうそうあるものじゃない

こんなふうに
繋がりあえること
それは
その辺にいつも
転がってはいない

それは特別なものなんだ。

パッと手を離そうとしても
絶対に
気づいたら
手の中に戻っていて
気づいたら
愛してしまって

逃げても逃げても
追ってくる

おつきさまとか太陽みたいなものだよ。

振り向いて
浴びて
ありがとうと思えた瞬間に
私たちは
世界と繋がって

愛の中に戻れるんだ。