タオ君が、タオ君を理解してゆく旅

タオ君が、家に帰ってこなかったり、ラインで上級生からカスとひどい仕打ちで呼ばれていたりしたことを知って、怒涛のいちにちを終えた昨日。

いろいろすごいなと思った日。

 

 

自分が、自分のことをよく知っていく、理解していくというのは
いつどんなときであれ、とても大事だとおもう。

わたしのしごとは、みんなが、自分自身のことを本当に理解していくのを
たすけることだ。

 

それは子供でも同じで、たおくんは、今
自分がどうして世界と衝突するのか、なぜxxができないのか、
どうすればスムーズにやれるようになるのか。

それを、ただ理解しようとしていこうとしている。

 

 

わたしたちが自分のことを曇りなき目で、いいもわるいもなく
理解をしていくとき、

感情がそこに入ると、真実が歪められてしまう。

 

たとえばかたづけができないタオ君は、かたづけができないのではないと
わたしは思っていて、

あのひとは小さい頃から自分でパンツを畳んで、嬉しそうに「ママ、きれいにしたよ」

と見せに来る、自発的に片付けるような保育園児だった。

 

今片付けの問題というより、ひととの関わりの部分でつまづいていると思う。

ただ、どう工夫したらできるようになるのか?

を考えるときに、たおくんの恐れが入ると、原因が見えてこない。

 

誰かに怒られた記憶、ママが苦しんだ記憶、友達にカスと呼ばれた記憶、仲間はずれにされた記憶、

そういうものを前に、わたしたちは恐れおののいて、

じぶんは、片付けができないんだ。

言われれば言われるほど、縮こまってゆく

自分は、愛されない、
自分は、価値がない。

そんなふうにおもってしまう。

 

 

ほんとうの原因は、とてもシンプルなものがおおい。

 

癒しが起こると、自然とそれが見えてきて、
タオ君はいま、それに取り組んでいる。

 

「ぼくは、みんなを手伝いたいけど、ゆっくりでもいい?」
とふるえながら伝えてくれたタオ君。

まいかい、ひとつづつ言葉をさがし、言葉を選んで、ていねいに、なにかを伝えようとしてくる。

そういうのは、誰もができることではなくて、

最初から気持ちを言葉にすることを諦めるひとがほとんどな中で、タオ君はことばを覚えたての頃から、今までずっと

変わらずにそれをやっている。

 

ゆっくりでもいいし、みんなより時間がかかったっていいんだ。

 

大事なことは、そんな自分を愛すること

愛して、そのままでいいやと開き直るのでもなくて、

 

受け入れ、認め、愛した上で

どう工夫したら、みんなよりゆっくりなタオ君は、うまくやれるかなと
トライを続けること。

 

タオ君は、頭の回転が速いと思う。

そのせいで、まいと同じで、みんなのペースが遅すぎて、うまくかみあわなくて、自分がどこで何をすればよいのかわからず、逆にものすごい遅く見えたり、鋭いときがあるせいで、嫌味なやつだと思われたり、さぼっているように見えたり、
実際にマイペースでのんびりしていたり、

いろんな要因が重なり合っている。

 

ゆっくり、たおくんの目を見て、
ひとつひとつ、一緒に答えを探せばいい。

ひとりでがんばる必要もないし、たおくんには、わたしがいる。

 

タオ君に「カス」と送った上級生のお母さんと話して、
まいは昨日は、タオ君はカスじゃない。と憤ったけど

今朝は、みんな、必死なんだなとそう思った。

きっとその上級生も、いろんな鬱憤がある中で、タオ君に怒りをぶつけたり、
それを受け止められる器を持っているかもしれないタオ君。

 

ただ自分のことを傷つけずに、守りながら、
愛して、そして世界を包み込めるひとになってほしい。

いま、誰のことも信じられなくなって、ひとりも信じられるひとがいないこの世界の中で

まず、自分を信じられるようになること

そして、目の前にいるひとを、信じられるようになること

 

 

今朝も変わらない様子で
おおらかに笑い、思慮深くあったタオ君が
この先もずっと幸せで自分らしく生きられるように

わたしは今日からも
自分らしい、ママとしての自分をがんばるのだ。

 

 

 

昨日たおくんが帰ってこなくて、わーってなったとき

まりあに電話がすぐできて

こういうときに、必要なタイミングで受け止めてくれるひとがいるって、なんてありがたくて温かいんだろうと心から思った。

 

いつどんなときも、いろんなひとから誤解されるときも

まりあが、まいが生きていてくれてよかったと言ってくれて

何度も何度も救われてきた。

感情的になって泣く時も

愛に溢れてたまらないときも。

ありがとう