見極めて、設定すること

 

自分が、どんなひとたちを一緒に生きてゆきたいか?
どんな世界とともに望みを創造してゆきたいか?
それをきちんと見極めて、設定することは
わたしたちが思っている以上に大事なことだ。

わたしも長い間苦しんだからよくわかるんだけど、

この世界のすべてを受け入れて、すべてを愛する

ということは、嫌な世界や嫌いな人たちと、ずるずると苦しみなながら一緒にすごすこととは似て非なる。

この世界をすべて受け入れ、すべて愛する。

でもその受け入れて愛したものの中で、この世界にそれは同時に存在していても、

「自分のそばに何を置くか」
はもちろん自分で決める部分だから。

 

インテリアに例えるとわかりやすい。

汚くてボロボロでダサくて醜い環境を
厭い嫌う必要はない。

そういう場所も世界にはあるんだと愛を送ることは大事なことだ。

 

ただそこに無理して身を置くのは、自分がその環境にわざわざ選んで住むのと同じこと。

すべてを愛することと、

自分がまた別の、綺麗でセンスの良いすてきなものに囲まれた暮らしを大切に育むことは、矛盾しない。

世界を否定さえしなければ、自分たちは愛するものに囲まれて大丈夫なんだよ。

 

ひとも環境もしごともすべて、そんなふうに

 

どんなひとたちを一緒に生きてゆきたいか?
どんな世界とともに創造してゆきたいか?
それをきちんと見極めて、設定すること

それをきちんと明確にするまで、やってみてほしい。

 

 

設定できると、いろいろなことが起こってく。

 

手放すのが怖かった古い関係は自然と剥がれてく。
行きたかった場所は、近づいてきて、自分の恐れが浮かんでくる。
それを乗り越えて、その場所にふさわしい自分に変わってくる。

 

世界をねじまげるかわりに、
自分が高い場所に上がるための筋力がついていくというか、

そのための方法がわかってくる

という感じだよ。

 

 

わたしたちは、何も嫌わなくていい。

そのかわり、なりたい自分になり、過ごしたい場所で、愛するひとと過ごすようになるだけなんだ。

 

それができるようになると、自分が幸せになるから、

世界を丸ごと愛することができるようになる。

 

 

そんな感じだよ。

 

身体も、こころも、魂も
相互に磨いてくってのは

そういう感じだよ。