Window in a safe place

FM富士の制作の方とお話して、とても久しぶりにラジオの現場のことを想った日だった。

ラジオという媒体が、なぜここまで好きかは、それは説明しがたい愛だとそう感じる。

20くらいのときに青木さんに出会ってなかったら、今のわたしはいないけれど、青木さんがラジオに対して真摯な態度で番組を作ることをしていたから、そのそばで、その真髄を学ぶことができた。

書くという喜びや表現の自由を、生まれて初めて生命を吹き込まれたのもそのときだ。

わたしの生みの親みたいな。

 

YouTubeやインターネットが普及した今、ポッドキャストやネット配信が主流となっていて、ラジオやテレビはどんどん下り坂で時代に沿わなくなっている。

今もそうかは知らないが、わたしが青木さんから教えてもらったことは、

地域には、必ず決まった数の放送局が設置されるようになっていることだ。

 

それがたとえ、全然ファンシーな番組とかもなく、メディアの華やかさなど無縁のような、小さな放送室だとしても、それが義務付けられていること。

無限の情報や音源にありとあらゆる方法で触れられる現代に、なぜその場所が消えずに義務付けられているのか。

 

それは、電波の方式が、インターネットなどの仕組みとは、異なる仕組みで成り立っていることが理由だ。

 

災害や、何かのエマージェンシー時に、携帯も通じない、もちろんWi-Fiもない、すべての電気が止まり、どの情報にも触れることができなくなることがある。

そんな状況は、人生に一度経験するか否かかもしれないが、日本には地震や津波があり、大勢のひとがこの歴史の中で、そんな大自然の大きな事象の中で、生きてきた。

 

そして、そんな時、ラジオだけが、唯一、どんな状況下でもその電波を拾えるようになっているらしい。

人々の生活や生命が危険にさらされた時の絶望と先の見えない不安は、この時代どの地域でそれが起ころうとも、復旧がされるようにできている。

でもその真ん中で、大切なひとを失ったり、自分の身が危ないそのときに

今、世界で何が起こっているのか?

その情報すべてから切り離されたとしたら。

 

その怖さはわたしが一番、痛いほどよく経験してきたことだ。

そして、そのときに

繋いでくれる、最新の情報源は、インターネットでもテレビでもない。

ラジオなのだ。

 

だからラジオはこの世界から消えて無くならない。

 

「だから、ラジオやねんなァ。ネット配信もええけども。」

 

そして、そのことを、粛々と、淡々と、柔らかい関西弁で語る青木さんのことを、わたしは心底尊敬し、愛していた。

その愛に触れるたびに、胸の奥がぎゅうっと締め付けられるような、20年経ったいまでもそんなきもちにさせられる。

 

20年前と、現場はあんまり変わってないよと今日中島さんはそう言った。

そう。

ラジオの良さは、変わらないことなのだと思う。

 

時代が移り変わって、次々と新しい情報やテクノロジーが飛び交って、それについていくのに必死なわたしたちだけど

きっと心の奥底では、そんなふうに昔からずっと変わらずにそこにあるものに、安心を覚える。

 

 

そしてそんな媒体と、時代の融合を、放送局はずっと追及しながら地域と関わっていて、そんな世界はやっぱり好きなんだと、想った次第だった。

 

これからまた、少しづつでいいから、自分の好きを思い出してゆけそうで、自分の経験が役に立ちそうで、その全てが最後ひとつになったとき

きっとわたしはこの世界で流れてゆける。

 

良い日だった。

 

見返してるグッドドクターのシーズン2、エピソード13の挿入歌に、そんな若いころにくり返し繰り返し聴いてきたAlbam Leaf の曲が流れた。2004年の曲で、まさに今日、ラジオと関わっていた頃の曲だ。

 

大切にしていこう。

自分の世界を。もう一度世界に水を流してゆく。