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Fyntage フィンテージ 

あの日の、別れ際のFynの不安そうな顔は、今でも手に取るように鮮やかに、覚えてる。

”このままでいいのか、わからない”とうつむいてそう言った彼女と、パートナーの存在がないと足場が揺らぐ依存がそこにはあって、心底Fynを愛していたわたしや、同じように心底Fynを愛していた親友のScottの言葉を借りるとすれば、「マジでクソ」な男がとてもじゃないけど彼女には釣り合っていなかったと誰もがそう思った。

わたしは当時まだ仕事としてセラピストをしてはいなかったけれど、若い頃からとにかく大勢の人の心の内の奥の方を、そっと開いて見せることが多く、それは日本に留まらなかった。

世界のどこにいっても、人は、Maiに言えば何かがそっと癒されて開き、苦しみが和らぐとそう感じたり、Maiはなんでも知っている。とそう感じた。

 

”この世界で自分のものにしたいいい女は2人いて、それはMaiとFynである”とそう言った親友のScottは、なんていうか、人として本当に信頼のおける人だった。洞察力や世界を見る目があって、苦難の人生の上に成り立つ経験豊かな成熟した器の腕の中で、Fynとわたしはぬくぬくと、安心で笑顔になるような、そんな時代があって、そういう人から選ばれたFynとわたしは、Scottが言うと本当に価値があるのだと嬉しくなるほどだった。

わたしたちはそして、もうすっかり忘れてしまったけれど、多分上海の市のど真ん中の、高層マンションで出会った。アメリカ人や中国人やフィンランド人が交差する場所で、若い時にだけ経験できる特権のアドベンチャーの中、わたしたちは必死で言葉の通じない外国で毎日を熱気と共に、生きていた。

それから10年近くが経った頃に、台湾に戻ったFynを訪れたわたしのお腹の中にはタオがいて、彼女はそして、当時のパートナーとの行末を案じていたというわけだった。

彼女はわたしによく似ていた。純粋で、大きな世界を生きていて、台湾のような小さな国の旧い慣習の中ではとても窮屈に見えて、いつも海外を行ったりきたりしていた。パートナーのアメリカ人は、今だにわたしも解せないどこにでもいる風の何のとりえもなさそうな典型的なアメリカ人で、と書くと偏見と悪意に満ちているようだけど、なんていうかコンプレックスだらけの欧米人が唯一ヒーローになれるのが、アジアだってことを知っている下世話な輩のひとりに見えた。

それからずっと長い年月を経ても、結局家族になって幸せそうにしているFynを見ると、当時感じたその印象は、わたしのただの思い込みだったのかもしれないけど、ただわたしもScottも、Fynには幸せと愛を享受する資格があるとそう思っていただけだ。

そのくらいに素敵でセンスがよく大きな愛で生きている子だったから。

 

古びた汚い台中の田舎の駅まで送ってもらったとき、幸いFynひとりだったので、Fynはそして冒頭のような言葉を別れ際のわたしに呟いた。いつでも話そうと思えば話せるけど、まるで最後に会う日のように。

その後、いつか日本に遊びに来たときもFynはやっぱりその男と一緒で、結婚までしてて、パッと見た感じはすごく楽しそうだった。

自分には友達がいないとそう言っていたから、もしかするとわたしもいつも日本でそう感じるように、ずっと孤独で、それでも慰めてくれる存在や側にいてくれる存在がいないと生きていけない、同じ種類の人間なのだろうとそう思う。

それは弱いとか依存とか自立とかいう次元の話ではなくて、ただ自分が世界で生きるために支えになるものが、時代の関係で足りていない時にどうしても起こりうることだ。

わたしたちはきっと、開いた意識でその世界を生きていた。

だから自国ではカリスマみたいになるし、憧れられるし、特別に扱われる。

でもそんなものが何の意味もなさないことを、わたしたちは2人ともよく知ってたんだ。

 

わたしはまだ、気の利いたセラピストが吐くようなボキャブラリーを当時持ち合わせておらず、ただその気配を丁寧に拭うようにして

”あんたは大丈夫だから。とにかく大丈夫だから”と、説得力があるんだかないんだかわからないような別れの挨拶を述べた。

お腹の子を一人で産むと決めた手前、Fynよりも多少肚が座っただけのわたしだったけど、ただ彼女の幸せを祈りながら家路についたことをよく覚えてる。

 

ひとがそこで、何を経験して何を選択してゆくかは、本当に自由だ。

我が道を最後まで貫くと決めて妥協なしに突き進もうとすれば、世界はイバラの道になることもある。

どこかで最後を妥協して、なんとかやりくりして楽しそうに見せて生きることが、昔はカッコ悪いことだとか、残念なことだと思っていたけれど、そんなことはない。

ただ自分にはそれができなかったから、自分の道を最後まで貫くしかできなかったわたしには、Fynのようにずっといてくれるパートナーは居なかったし、独りだったし、実際イバラの道だったし。

 

一度きりの人生に正解はなくて、そしてFynは今でも自分にとって大事な友達だと感じる。

それほど嬉しくてありがたい出会いはなくて、こうして長い人生の過酷なパート以外に

ただハートがほっと温まるような、そんな出会いや経験を、同じくらいにわたしはこれまで蓄えてきたことを思い出す夜。

 

これからまた自分にとっても新しい人生が始まろうとする今、古いそんな記憶を思い出しながら、Fynを想う。

Fynも今では立派なママで、わたしと同じように目の前の生活を慈しんでいるはずだ。

 

 

 

すべての生きとしいけるものに、愛と祝福を。

 

今はでは本当に作風が変わったけど、当時彼女のブランドイメージで描いた絵。
凛として強く、世界に通ずる大きな愛で、一流のエネルギーが、彼女の本質だ。