傷つくことを選ぶことも、
傷つかないことを選ぶことも
どちらも両方、自分が決めることができるんだよね。
傷つくことは、何かしらの信じていることを
守りたいときに
起こる大切な儀式みたいなもので
愛の感度が高いひとほど傷つきやすいのは、
そういうことだとおもう。
それでも。
傷つかない選択はできる。
切り捨てたり、辛さを歪めたり
埋め込むんじゃない
素直に自分の中の愛を信じられるとき。
毎週の法事と、大根おばさんが庭で切ってくれる花。
さいきんできた、まいの友だち。
ひとといるのは、いつも楽しくても疲れたり、辛くなるわたしの口から
帰りくるまに乗り込んだ瞬間に
「あ〜、楽しかった」
と手放しで漏れたのと同時に
助手席のたおくんの口から
「あ〜、楽しかった」
と重なるとき。
そういう場所があることが、奇跡だとおもうけど、
それよりも、
(ママが悲しくならずに、楽しかったと言ってる)という嬉しそうな気配を横から感じることが、
さらに奇跡だと思う。