勇気と恐れのはざまで

2017年3月20日分再投稿

 

目を瞑って、谷底にえいやと身を投じるとき、
それは正確にいえば勇気がある行動とは言い難い。

ある意味見えない先に足を踏み入れる時点で、手前で躊躇しているだけよりはもちろん、勇気と呼ぶにふさわしいかもしれないが、ほんとうは違う。

 

谷底または向こう岸に飛び込むときまず、目を見開くと、すると景色が目に飛び込んでくる。

空の色も、風向きは感じ取れるが、身を乗り出して谷の底を見ると目を開けたとしても、そこはやっぱり闇に包まれているとする。

 

そしてまず、その場所を、噛みしめるようにして味わってみる。
その恐怖を、見て見ぬふりをしたままではなく、恐怖自体に全てを任せ切るように、しっかりと目を開けて、その場所全てを感じ尽くしてゆく。

 

暗闇は、怖い。身体は縮こまってゆく。目を逸らしたくなる。

でもそんな中で、ゆっくり、おそるおそる感じてみる。

すると、目を閉じていたときと、目を開けても暗闇は暗闇で、何も変わらないのに、目を閉じていたときには見えない何かが、

見え始めるのがわかるとおもう。

 

 

そして、「何も感じないように」抵抗していたところから、

暗闇や恐怖を、「静かに感じる」感覚が湧く。

 

それはもしかしたら、恐怖からの鳥肌に触れるぞくぞくした感触かもしれないし、
闇っていうのは意外にも優しい静けさなのか…という安堵かもしれない。

目を閉じていたときと同じような、張りつめたような冷たさかもしれない。

それはわからない。

 

でも、暗闇に激しい抵抗をしながら飛び込むのとは違い、そうして少し闇に身を溶かした状態で、何かを受け入れるようにして飛び込むとき
そこには”勢い”のようなものは、いらなくなる。

 

目を閉じて、エイっと、無茶なその恐怖を感じないように、

前のめりで何かをしようとするとき、うまくいくか行かないかは五分五分といったところであろう。

それを勇気を呼ぶもまたよいけれど、それはただ「無知」とも呼ぶ。

 

そしてできるなら、じりじり時間をかけてもいいから、

その恐怖をしっかり感じ、目を見開いた上で、それがうまくいくのかどうか、わかった上で、何かを選択してほしい。

 

ほんとうの勇気とは、目を瞑って大胆な行動に出ることを指すのではない。

 

本当の勇気とは、小さなことだろうが大胆なことだろうが、そこに湧き上がる全ての感覚をしっかり受け止めていきながら、

行くべき道に、自分が望んだ道に、一歩一歩をていねいに、踏み出し続けることなのだ。

 

 

新しく何かを始めるすべての人へ、暗闇の中でその恐れを感じていくことを。

そして何が起こるのかじっと見つめられる、本当の勇気を持つことを。

 

そして、失敗しても成功しても、ただ踏み出したことへの祝福と、

すべての経験へ、愛を送ります😊