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2-26-2024

“人生に必要なのはエロと希望である。”昔わたしはそう思った。

人が生きていくのに、どんなに苦しい状況下においても”希望”と胸のときめき(五感・マインドフルネス)さえあれば生きていゆける。
そう考えたんだよね。

でもそうすると、希望や五感を失ったとき、人は生きる目的を失ってしまう。
光を見出せなくなったときに、ひとはこの人生のコマを進める意味はもう残っていないのだとそう思う。

そして、そこからが、命の真価を問われるときなのだとようやく悟った冬だった。

わたしたちはそもそも、幸せのために生きているわけではない。
喜びや幸せは、たどり着きたくなる魅力に満ちていて、それが希望になるうちは、どれだけでも追いかければいい。

でもそれを失っても、心配はいらない☺︎
わたしたちは、幸せや楽しみのために生きているわけではない。むしろ、苦悩や痛みという経験を通して、ひとは高貴になってゆくから。

今くぐりぬけている苦しみがどれだけ美しい行いかは、あなたが知っている人の中で最も美しいと思う人を思い浮かべれば(そうか)と納得できるはずだと思う。

今暗闇を耐えているのだとしたら、それを耐え抜いていること自体、すばらしい行いであることを忘れないでほしい。
そして、苦しみや不幸を受け入れてしまったら、人生の喜びや幸せを失ってしまうのではないかと恐れないこと。そこを目的地にさえしなければ、喜びや幸せは、結果として必ず訪れる。

生きることや命は、どこに属しているのだろうとずっと考えてきた。
それが幸せや喜びと必ずしも紐づいていないことが、すべての生きとし生けるものへ安寧をもたらすことに気づいたとき、わたしは自由になった。

わたしたちは幸せじゃなくていい。
十分それで、生きている意味に満ちているから、安心してほしい。

そしてその幸も不幸も苦しみもすべてを包み込む愛こそが、わたしがずっと探していた答えだった。

人生に必要なのは、希望ではないのです。
それがなくても人生はただそこに存在していることが愛なのです。
希望の先に、人生はあります。
Mai

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