この世界の愛は、すべての場所に平等に、流れていかなければいけない。
川の水が、上の方からずっとこんこんと澄んだ流れを送り出すときに、あっちのほうに多く、こっちのほうに多く、という意図は存在しない。
それは自然と、きちんとした法則の元で動き、流れ落ち、入り組んだ場所があればそこにも必ず水は流れ、途中に分岐があればその流れは分かれ、広い場所にはどっと多くが入る。小さな穴からは少ない量がぽたぽたと落ちてゆくかもしれない。
そして世界は、潤ってゆく。
愛というのは、それと同じなのだ。どこまでも公平で、どこまで偏ってもまた調和に戻ろうとするはたらきがある。
最後には必ず愛に向かうというのは、どれだけ水を堰き止めても、必ず重さに耐えきれずにそれは流れるのと同じなのだ。
でもひとは、
広い場所に多く流れる水と、小さな場所からチョロチョロ流れる水のことを、平等じゃ無いと怒る。
すべてがひとつで、そのすべてが潤うことが、この世界の調和であることに気づかずに、水を堰き止め、コントロールしようとする。
たくさんの水がそこにあるのに、溜め込もうとする。
自分のとこに水は来てないじゃないかと、潤った自分が見えずに、乾いた場所が目の前にあってもその流れを堰き止めてしまう。
自分が空っぽになるのが、怖いのだ。
流したらさらに自分のところに流れ込んでくるのを、信じることができない。
この世界で、最も資源が豊かにも関わらず、自由で自然な水の流れを堰き止め続けている場所。
それは、わたしたちの住む日本だと思う。
国レベルでもそうだし、個人レベルでも。
どんなに愛があって優しいひとでも、自分が豊かであることに気づいてないことが多い。
そして、乾いた場所は、どんどん乾いてゆく。
こんなに豊かな愛が溢れた場所なのに、その流れは止まってゆく。
それでも最後には、堰き止めたはずの水がどっと流れ落ちてゆくことを
自然の法則をみんな肌で知っているから
もしも上手に自分の愛を使えたら。
そう思うから
だから、これを読んでるんでしょ?