偽善は人を殺すと思う。
と、ちと過激な感じで書いてみるけど、
これは実は、大袈裟ではなくて事実。
実体験済なので、みんなには、偽善じゃないほんものの思いやりや優しさを身につけてほしい。
大切なひとの生死に関わるから。
この世界の、いろいろな社会の関わりの中では、たしかに「偽善」が役に立つことも、
一見「愛」の代わりの役目を果たすことも
あるにはあるんだとおもう。
でも、実際はそれって単なる自尊心を満たすためのエゴでしかなくて、
回り回って巡り巡って本質的な部分でいうと、
誰も幸せにはしない優しさなんだよな。と毎度、毎度
思う。
小さい頃、わたしの目下の興味は、
「なぜ、ひとがひとに優しく親切にする、には2種類あるのだろう。
何が違うんだろう。」
世界を見据えてチビマイが考えていたのはそんなことだった。
(ものすごく子どもらしくない😅)
あれから数十年が経って、
優しさや親切や愛には2種類あり、
それは純粋なものと、偽善とするの2種類である、とシンプルにわかるようになる。
理解したし、そのエネルギーはまったく異質なので
目の前で偽善を繰り広げられるときの
愛の茶番劇場みたいな場所にしばらくいると、具合悪くなることもあるんだけど💦
それでもみんな、必死で愛を体現しようとしてる。
優しくしようとがんばってる。
正しい行いはどれだろう、とみんななりに考えてのことだ。
自分がいい人でいることは、大事だからね。
自己犠牲的な愛は、評価されるし、愛されるからね。
短期的には。
誰かを助けたり
誰かに奉仕したり
見返りなしに、与えたり
いろいろあるけど、
最終的には偽善は誰かを苦しめ、自分をすり減らし、
むしろ真意やものごとを改善するために本当に必要な情報の、雑音になってしまい、結局解決から遠ざかることを
覚えていてほしい。
そして、
自分のために人に親切にすること
自分のために誰かを助けること
自分のために誰かに優しさをかけること
そういうことを何も考えずにただ、
優しさを使えるひとが
何も考えずにただ
ただ思いやることができるひとが
この世界を次々と、救ってく😊
どうせがんばって愛を使うなら、
すり減らして壊すためじゃなくて
この世界を最後に幸せにするために、使おうよ。
ほんとの愛をもってるひとって、意外とクールよ。
ともこおばさん見てるとそう思う。
(一見キツいけど、本当の愛を使うひとだとおもう)
↑偽善と親切の違いについていつも観察してた子ども😂
週末大自然のなかにいけて大幸せ😍