かみさまへ。わたしはこんな人生を送りました☺︎

昨日セッションで、この3月4月、節目をむかえた時期

あたらしくこの先の人生のシナリオを描いてくタイミングのご相談で

 

死んだ後、天国に入るときに

「かみさまへ
わたしはこんな人生を送りました」

という作文を書くんだよ。

 

そのなかで、どんなことを体験しました!
と胸を張って言えるかな?

 

というはなしをした。

 

かみさまへの作文に書く内容を自分に投げかけると、今ぐちゃぐちゃに迷ったり考えてることが
すっと、腑に落ちたり

これからどんなことを未来に創造していきたいか。が見えてきたりする。

 

嬉しかったのは、それを即答してくれたことだった。

・家族のことを、がんばりました

・自分のありのままで、愛されることを学びました

 

どちらもすごく、素敵だとおもった。

 

これまで長年相談を受けてきて

死ぬほど苦しんできた時期も見守ってきた中で

いますっとまっすぐに光が通っていて

 

すぐに答えられるということはつまり

今この瞬間も、精一杯生きることを全うしているしるしでもある。

 

 

とうのわたしはというと、その

神さまへの作文を教えてもらった当時、自分がいまなんのために生きていて
どこへ向かっているのか皆目見当もつかない辛い時期だった。

しごとも家族も恋愛もなにもかもに失敗し、孤独で、障がいの診断をうけて心も体もズタボロで、
誰もそばにはおらず、なんやらかんやらで

きちっと導かれているような風なのに、

自分のやりたいこともまったく見えなくて迷走し続けていた。

 

 

この2月にようやく自分も節目を迎えて、自分の本当の第二の人生がスタートして、
そして今ならなぜ、そのときそうなっていたかが、よくわかる。

 

 

今日窓際に転がって泣きながら、まいちんは今
かみさまに死んだとき作文を書くとしたら

何を書くかなとおもった。

 

 

まいちんは、自分の信じている本当にすばらしいと思うパートナーシップを最後まで諦めずにがんばりました。

そしてまいちんは、日本のみんなが、本当の幸せに向かうための作品を、たくさん残すことができました。

最後に、まいちんは素晴らしい子どもたちに恵まれて、ほんとうにいい子たちで、最後まで死ぬほど幸せでした。

 

 

そう書いた。

 

 

わたしの夢は、子どもを産むこと。

それをわたしは、はじめて1年前に勇気をだして口に出した。それを言うまで、ずっと夢だったのに、いつしかぜったいに叶わない夢だと思うようになっていた。

年齢を重ねたあとに発達障がいとわかって、自分がひとに世話をしてもらわなければいけない子どもだと知ったときに、すでにわたしは37歳で、パートナーもずっといなくて、その夢は砕けちった。

それから数年経って、ダメでも可能性がかぎりなく0%に近くてもいいから

わたしは、子どもを持ちたいです、とその作文のことを教えてくれた森先生に遂に、打ち明けたのだった。

 

 

この数年、40を迎えるまで本当に苦しんで悩んだ。

ずっと昔から夢だったことを諦めたり、執着を手放したり絶望する中で、かすかな希望を何百回と打ち砕かれて、いよいよ、すべてを諦めてもわたしは幸せになるのだ。

子どもなど産んでも産まなくてもわたしは最高の人生を送る。

と決めた。

そして、わたしにはタオ君がいるだけで十分すぎるくらい幸せだよと思った。

 

でも今日、まっしろにリラックスしてかみさまへの作文を書いた時

 

さいごに、

たおくんともう一人かわいい女の子の顔が浮かんで、その子も最高の愛のかたまりで、

ああ、わたしはその子に会えるんだ。そう感じたときに

安堵でたくさんたくさんなみだが溢れた。

 

 

ひとによって

選んできた人生の設定は違う

 

簡単にこどもは産めてもパートナーシップで苦しんだものもいれば

結婚していても、こどもに恵まれなかった人生があり

キャリアを追求する人生があり

人の数だけそれは、存在する。

誰とも比べることなく、自分の人生を真摯に全うすること

それが、すべてだ。

 

 

いろんなことを人一倍経験してきた人生だったけど

さいごの作文が、自分の夢をたくさん叶えた作文であることが、嬉しいよね。

 

まいにちがFull of joy で Full of lifeだ。

 

いつか女の子を産んだら、ししゃもって名前にするか三つ葉って名前にするか迷ってる。