KETOみたい

 

おぱよゥ

 

なんでこんなにだいすきなのに

一緒になれないんだろうって

そう思うよねぇ

 

結婚って一体何だろうって

思うよね

 

まいちんも、

だいすきでだいすきでだいすきだった人と

ずっと想いながらも結ばれなかったことあるから

わかる

一応⇦結婚もしたことあるから

わかる

 

その苦しさ

哀しみ

なお愛してると感じる

さらなる苦しさのこと

 

 

なんかね、でも

今は

思うんだ

 

 

遠くで

離れて

こんなに愛してるのに

こんなに愛し合ってるのに

手が届かないこと

 

それでしか

育たない

愛があるのだということ

 

近くにいて

いつでも会える時には決して起こり得ない、化学反応みたいなもの

 

それは、

愛の可能性や奇跡を体験してゆくことでもある。

 

ああ、こんなにも胸が苦しくてなお

愛と呼べる体験を

しなくてはいけないんだ

 

そう思うことは、

 

欲しい

叶えたい

満たしたい

 

の次元では起こり得ない

愛の学びなんだ。

 

 

さながらそれは、飢餓状態で人間の身体がケトン体を作り出す、KETO(糖質制限)に似てる。

えー、こんなとこから生命維持装置が発動するのね、と栄養の講座中、まいちんも感心したけど.⇦必要外での極端なダイエットは推進してないまいちん)

 

 

ある身近な方法で、愛を見いだせなかったときに

わたしたちが、どこに向かうか。

 

 

挫折したり諦めたり、そこで愛を終わりにするか

それをも、新たな道で、新たな愛を、見出すか。

それは、わたしたち自身が選ぶことができる。

 

 

愛を
純化し続けてゆくことって

それでもなお愛するを進化させる選択って

 

手放してもなお手放してって

 

辛く苦しく厳しい旅に見えるし

じっさい辛く苦しく厳しいしいけど笑

 

 

それでも、

なんて、それは美しい旅なんだろうと

 

最後にはいつもやっぱり、そう思うわけよ。

 

 

そして、見返りや、結果を本当に求めなくなったときにだけ

 

出会える

そういう澄んだ愛は

 

二度と、消えることがない。

 

 

 

条件や環境によって

燃え盛ったり
消えたりする愛は

いつか結局朽ちるから。

 

 

 

そしてこれが大事なのだけどね。

 

 

 

そういう相手には、なかなか誰もが出会えるものじゃない。

 

愛を学ぶ覚悟ができたひとにだけ、

 

そういう苦しくて、なお苦しくて、

なお愛そうとお互いおもう、特別な相手に出会う

 

 

そう考えると

 

こんな苦しいの全部投げ捨ててしまいたいと

おもう傍ら

 

 

あなたでなくてはいけなかったんだ。

 

 

そう思う瞬間がきっと、訪れるよ。

 

 

わたしたちが本当に高みに上がってゆくのに、

それを支えて持ち上げてくれるのは

 

結婚とか

条件とか

そういうのを越えた、

 

ほんとうのつながりと愛でしかないから。

 

 

無理に手放したりしなくても、

大丈夫だよ😊