誰にでも、わかること

人間の価値は、賢さでは測れない。

賢さというのはひとつの要素であって、それがその人の魅力とはまったく限らないから。

 

ただ、この世界がより良くなってゆくために、「賢さ」というのは本当に世界を救うんだと思った日だった。

それは、すごいことなんだと。

 

賢いというのは、なにかいい成績がカッコいいとかそういうんじゃなくて、

問題を解く知恵が備わっているということである。

 

パズルのように絡み合った謎が、解けるとき

目の前の問題を解決する人は

頭で考えて、組み立て、そして答えを導き出してゆく。

 

 

そしてその賢さは、とんでもなく小さな日常的なことにも

とても意味があって、むしろ、誰にでもそんなことわかって当たり前だよ。

とみんなが思うようなことを

丁寧に紐解ける人は、

 

ただ優秀なだけじゃなくて

その賢さと知恵を、愛をもって大切な場所に使っているのだとそう思った。

 

 

今まで生きてきて

幾度となくそう感じてきたけど

 

真に優秀な人は、難しい数学の問題を解いたり

ウィットな会話を楽しめたり、専門用語で語れる人じゃない。

 

そんなのは、ただの優秀な人だ。どこにでもいる。

 

 

ほんとうの賢さは、易しいことばに表れる。

ほんとうの優秀さは、誰にでも解ける、目の前の小さな問題を

とるに足らないと捨てずに、拾うことができる。

 

それは、とんでもなく尊いことで

 

いつも、マイのつまづきを笑いながらも、手を差し伸べてくれる、

これまで出会ってきたそういう人たちが、大好きだった。

 

 

 

 

 

お風呂のカイワレ事件(おふろに葉っぱが生えて、まだ困ってる😅)で、みんながいろんな角度から

葉っぱについて話すのを聞いて、

 

なにかを解決しようとしてくれるひとは、賢いんだとそう思った。

 

誰にでも解ける問題を、そんなの誰にでも解けるじゃんと思うだけのひとと

誰にでも解ける問題を、ちゃんと解こうとしてくれるひと

 

この部屋に引っ越してきたときも、お風呂のいれかたがわからなくて、教えてくれる人がいた。

お腹がいたいときに、何を飲めばいいかわからなくて、教えてくれるひとがいた。

 

 

そういうひとたちにめぐりあえてよかったし、

これから、小さな誰にでもできることこそが、大事なんだよと

すべてのひとたちが

気づいてくれたらいいなと

 

そういう人にまた巡り会いたいとそう思う。

 

 

 

 

 

みんなにとって簡単すぎる事に困ってると誰も気づいてくれない。

 

→チャコールグレーと焦げ茶が混じったような濁流に追いかけられたMaiさんが見えました。必死で逃げてるのに誰も気付いてくれなくて。周りが気づいてもMaiさんが困ってるとは思わないようでした。

この濁流を引っ張ったり別の方向に流したのですが、本当に根強くて…またMaiさんの足元まで来そうになったらMaiさんが怒って、叫びました。

するとその場面が半分にパカっと割れて、中から金箔で包まれたようなMaiさんが出てきました。

そしてしっとりと、高貴な感じで困っている旨を人々に伝えていました。

それを聞いた人は、どうやらMaiさんを崇めているようで、ありがたいお言葉をもらった、と泣いて喜んでいました。

Maiさんの方も、自分が困っている、と理解してもらうために伝えていくのは当たり前のこと、という感覚と、この世界を良くするためにやっている、という気持ちのようでした✨

 

助けが必要なこと